移り住んだ方の声

上城 拓也さん  Uターン

夫婦共働きで、生活にゆとりがないなと感じていて、環境を変えたい願望は強かったです。
どちらかの両親の近くで暮らせれば、家族もやりやすいんじゃないかと考えました。

鹿児島市出身の上城さんは、鹿児島大学卒業後に愛知県のIT企業へシステムエンジニアとして就職し、9年弱自動車関連のシステム開発に従事されていました。
平成30年、鹿児島市にUターン移住しています。
現在は鹿児島市喜入にある、社会福祉法人喜入会で得意分野を活かし、ソフトウェアによる業務のシステム構築に取り組んでおられます。故郷へ戻り、いままでのキャリアを活かし、イキイキと仕事をする上城さんにお話を伺いました。

「ゆとりのない環境で子育てをするリスクに気づき、Uターン・転職を決意しました」
当時勤めていた会社を辞め、名古屋を離れる決断に至ったのは、 2つの訳があったという。

1つ目は、ハードすぎる仕事であった。
当時、新たなプロジェクトの立ち上げメンバーとして奮闘していたが、朝6時半の電車で出社し終電まで働き、土曜日も出社という日々だったようである。最後の2年間は、電車を3回乗り換え、さらにバスに乗り、片道2時間以上かけて通勤していた。「家で過ごせる時間は睡眠時間を除くと、本当にわずかな時間でした」と厳しい表情で話された。平日はゆっくり夕食を食べるということも難しかったと、当時を振り返る。

2つ目は、共働きの為、育児に充分な手をかけられないという家庭の事情であった。
これらが、仕事や暮らしの環境を大きく変えようと考えるきっかけになったという。

思い切って、「仕事辞めて、鹿児島に戻ろうかと相談してみたんです」「鹿児島で仕事はどうするの?」と奥様は少し驚いていたが、反対はなかったという。このことがきっかけで、Uターン・転職に向けて計画を始めた。
友人から、「鹿児島に来ても仕事がないのでは」と心配されたこともあり、不安はあったという。大学在学中、お世話になったゼミの教授を訪ねたことから、今の職場につながったという。「同じゼミの先輩を紹介していただき、そのつながりで面接を受けることになりました」「今にして思えば、喜入という場所に魅力を感じたかもしれません」「日常的に山が見えて、桜島や錦江湾の海もある。
面接の帰りに、グリーンファームへ行ったら、子どもたちが収穫体験や、ピザ作りをしていた。いいところだな。子供を育てるのにもやっぱり鹿児島だな。ここで心機一転がんばってみようと思いました」といわれた。

当時住んでいた名古屋では、そのような安らぎを感じる機会は少なかったそうだ。
「共働きで生活にゆとりがないな、地方で両親も近くなら、共働きでも生活しやすいのではないかというのもありました」両親に食事を分けてもらったり、子どもが熱を出したりしたときには面倒を見てもらったりと、とても助かっているという。

両親も、それまでは二人暮らしで寂しかったところ、毎日のように孫と会えるようになり、とても喜んでいるという。両者にとって「いい暮らし」が実現できているようだ。「以前のように満員電車に乗ることもなく、座って読書をしながら通勤できています。」と笑顔をみせ、休日には、ロードバイクで、桜島を1周したり、趣味の自転車も楽しんでいる。子供たちとゆっくり過ごす時間も増え、鹿児島での生活を満喫しているそうだ。